人づきあいが苦手な人の人との接し方

生きていく上では人との接触は避けられない。ならば人づきあいが苦手な私たちはどのように生きればいいのか

岩合光昭さんの写真展「猫の京都」にいってきました。

ども。りとるです。

 

猫すきですか?

 

私は大好きです。

 

しっぽをたてて近づいてきて

スリよって甘えて

かと思えば、そっけない態度をとられたりする。

小悪魔さがツボです。

そのくせ撫でたらごろごろノドをならして

気持ちよさそうに目を細める。

 

かわいすぎかよ、天使かよ。

 

そんなもっふもふの天使たちを美しく写真に

おさめてくださる写真家様がいらっしゃいます。

 

岩合光昭さん

私がこの方を知ったのは

2015年の写真展「岩合光昭の世界ネコ歩き」

を見に行ったのがきっかけです。

その時たまたま母と天王寺をぶらぶらしてて

ハルカスに寄ったんですが。

ネコの写真展やってるんや、いってみよ。

と軽い気持ちで入っちゃいました。

 

まぁ、すごかった。

ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、アジア、

写真展を見ているだけで世界旅行をしてる気分になりました。

 

その土地の風景と猫。

その世界観がすきでした。

 

そのなかでも、一枚の写真が忘れられなくて

白い少し毛足の長い猫がお昼寝をしてるところに

濃いめのピンクのバラの花びらが散っているところを

とらえた写真。

まぁ、気持ちよさそうに眠っているのですが、

生きてるんだけど、なんか命の儚さを感じさせるといいますか、

しんだように安らかに眠る姿がどうも

心を揺り動かしてきて、ちょっと泣いてしまいましたね。

 

そんな、ちいさな命のきらめきと世界の美しい風景が

一帯になった写真を撮れる岩合さんがとても好きになりました。

 

で、2017年5月18日から

京都の美術館「えき」KYOUTOで

kyoto.wjr-isetan.co.jp

京都の猫たちの写真展があると聞いたので

こりゃ、いくしかねぇ!と思って行ってきた次第であります。

 

京都の春夏秋冬と猫たち

いやぁ、日本に生まれてよかったなぁ。

と思わせてくれる写真展です。

 

ポストカードとクリアファイル買っちゃいました。

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いや、かわいい。そして美しい。

 

京都では6月4日まで開催しています!

ネコ好きの方もそうじゃない方も是非見に行ってほしい

展覧会となっております!

なぜ本を読むのか

ども。りとるです。

 

小さいときによく母に言われてました

「あんた、ちょっとは本読みや!」

って。本?

私が読んでた本といえばコロコロコミックでしたね。

本じゃなくて漫画か(笑)

小学校の図書室で

ブラックジャックもよく読んでたなー

また漫画ですね。

 

本を読むようになったのはつい最近のことです。

イタリアンの仕事を辞めてからだから2年前くらいからですかね

仕事が週6から週4になったので

時間ができたんです。このまま

ずっと派遣社員ってのもなーって思ったので

どーすっかなーと思って、あ、本とか

読んでみたらいいんじゃね?

と思ったのがきっかけです。

 

本屋に行ってもレシピ本とファッション誌ゾーンにしか

いかない私でしたが。

経済、ビジネス、自己啓発系の本を読みだしました。

まんまとはまりましたね。

いろいろよんだ中でもいい本がちらほらありました。

また、機会があれば紹介しますね。

 

本の何がすごいかって。

本って知識の塊みたいなものなんです。

著者の経験したことがぎゅっと詰まってます。

 

 

自分が経験したことのないことを知れるってスゲーなって

思いました。

時代を超えることもできます。聖書とかもそうですよね

何百年も前の文献を今になっても読むことができます。

(私は聖書よみませんが)

ずーっと昔に書かれていても、

著者が亡くなっていても、言葉は残り続けて

人の心に生き続けます。

普通に生きているだけでは

知ることのなかった知識も得ることができます。

本を読むことって、知識を得るだけではなくて

視野を広げることにもつながるんだなぁ、

と思いました。

 

人生に躓いてどうしようもなくなった時

本に助けをもとめてみるのもいいかもしれません。

 

自己紹介 りとるのこと 幼少期編

どもー、りとるです。

 

今日はちょっと

私の事を書いてみようかと思います。

 

りとるは1993年3月29日に生を受けます

 

産まれた場所は大阪。

食い倒れの町ですね。

 

ちなみにひとりっこです。

幸い母が7人兄弟という、大所帯だったので

親戚がとても多く。

家もみんな近くに住んでいたので

お姉ちゃん、

お兄ちゃんがたくさんいました。

のちにそのお兄ちゃん、お姉ちゃんに

子供ができて、

よくうちに遊びにきたりしていたので

妹、弟がいたみたいな感じです。

 

 

でもやはりひとりっこは孤独です。

親は共働きで

その間私は

幼稚園とおばあちゃんの家で

過ごしていました。

おばあちゃんとは一緒に時代劇を見てました

暴れん坊将軍をよく見てたので

暴れん坊将軍の音楽を聴くと滾ります。

夕方には

お母さんといっしょと忍たまらん太郎

をみて晩御飯を食べます。

季節にもよりますが

外が暗くなってくると

やはりこどもですので

寂しくなってくるんですよね。

おばあちゃんの家の外にでて

お母さんが来ないかよく遠くを

見つめていました。

もー、迎えに来ないかもしれないとか

そんな悲観的な想像をしながら

毎日、不安の中で過ごしたのを覚えています。

 

幼稚園では、体を動かすのが

大好きな活発な子でした。

発泡スチロールの丸い棒で

チャンバラしたり(暴れん坊将軍の見すぎ)

砂場でひたすら穴掘ってみたり

意味わからんこと

たくさんしました。(笑)

 

幼稚園の友達が水泳を習う

と言うので私も便乗して

習いに行きました。

 

体を動かすのが好きだからかなのか

はたまた母に連れられてよくプールに

行っていたからなのか

泳ぎ方をどんどん吸収して

ほかの子を差し置いて

昇級しまくりました。

水に対する恐怖心は皆無でした。

むしろ、タイムを縮めるのが楽しかった。

努力すれば、成長できる。

上を目指せる。そんな感覚です。

小学校5年くらいまで通ったかな。

今でも泳ぐのは好きなので

夏にはプールに行って獲物を追うように

ごりごり泳いだりします。

 

青く冷んやりした世界が気持ちいいんです。

 

習い事で水泳はオススメですね。

体づくりにもなるし

水泳って歳をとってもできる

スポーツの一つなのでいいですよ。

 

ものごとには向き不向きがありますので

なんでもやってみるといいですよ。

 

小さいときにやっておけばよかった!

と思ったのが音楽です。

ピアノとかやっとけばよかった!

って思います。

やっぱりね。小さいときは飲み込みの早さが違うんですよね。音感を鍛えるのは

早い方がいいですよ。

 

ちなみにこのころの私の将来の夢は

"忍者"でした。

チャンバラの見すぎですね。

強くてかっこよくなりたかったんでしょうね。

 

気が向いたら続編書きまーす。

働くということ

ども。りとるです。

 

私は倉庫で仕事をしているとき

よく考えます。

 

一体何のために働いてるんだろう。

 

働いて対価に得られるものはお金。

お金のために働いているんだろうか。

もとをたどれば生きるため。か、

 

 

大学生になる前にアルバイトの面接に行ったところの

串カツ屋の店長さんに問われたことがあります。

「なんのために働くんや」って。

高校のアルバイトだったので、まぁそんな

意識も高いわけじゃなかったし。小遣い稼ぎ程度にしか

考えてませんでした。

そこの店長さんの答えは

「全部自分のためや」って言ってました。

私はこの言葉が頭から離れません。

 

全部自分のため。

お客様のためとかではなく。

自分のため。

当時の私は、それって自己中心なのでは?

とか思ってました。

 

でも、立場が違ったんですよね。

私は学生でバイト先をさがしてました。

別に雇ってもらえればどこでもよかった。

 

そこの店長さんは

若かった20代でしたね。

新しくオープンするお店を任されて

何としてでも繁盛させたい。

きっとそう思ってたはずです。

熱意が違いますよね。

 

で、そこに別に意識高くない私がいったところで

一緒に働かせてもらえるわけがない。

私が店長さんの立場だったら。

一緒にお店を盛り上げてくれそうな子を雇います(笑)

だって成功させたいから。

 

雇う側の立場に立って考える。

想像力が足りなかったです。

 

 

話がそれてしまいましたが。

働くということ。

 

これが店長さんの言う

自分のためだったとしたら。

・お金を稼ぐため

・昇進するため

スキルアップ

・仕事を通して職場の人と仲良くなる(人間関係の形成)

 

とかですかね、

自分のためじゃないとしたらなんだろう。

・お客様のため

・企業のため

・家族のため

 

私の乏しい想像力ではこんなものです。

きっと人それぞれ、「何かのため」に働いているんでしょう。

欲しいものを買うため。

やりたいことをするため。

夢をかなえるため(将来自分の店を持ちたい)。とか

 

私は何のために働くのかといわれると、

もし自分が働けなくなった時のため。かな、

お金がないと生きていけないもの。

まぁ、ゲームを買うためとか

友達とごはんに行くため

旅行に行くため、楽譜を買うため

本を買うため。とか意外といろんな「ため」がでてきます。

暇つぶしとかでもいいと思いますけどね。

 

働くことの意味が分からなくなったら

一度自分に問いかけてみるといいと思います。

いったい自分はなんのためにこんなことしてるんだろうって。

目的がわかったら。

目指すところもある程度固まってくると思います。

 

 

新しい職場が合わないなと感じた時

ども。りとるです。

 

4月ももう後半に差し掛かろうとしていますね。

早いです。

 

4月といえば。

環境が新しく変わる月ですね。

入学・卒業・就職・転職

今まで生きていたところから離れて

新しいところで生きるときって

期待と不安が入り混じった複雑な心境になります。

この期待と不安の比率も人それぞれ。

5:5の人もいれば7:3、1:9

なんて人もいるかもしれませんね。

 

環境が変わることって

良くも悪くもストレスです。

生活リズムが変わると

自分のペースが乱れます。

そこに、新しい仕事を覚えることであったり

人づきあいをしなければならなかったりと

負担がどんどん増えて

キャパオーバーになり

身も心もボロボロになってしまうケースがあります。

 

もちろんこの限りではありませんよ

自分にとっていい負荷がかかって

成長できている実感があれば。

充実した毎日をおくることだって可能なはずです。

 

ですが、私は前者のほうでした。

 

大学卒業後、個人のイタリアレストランに就職しました。

まず労働時間が過酷でした。

当時の私のタイムスケジュールです。

 

10:00 開店準備 掃除(1人で) ランチの前菜の準備

12:00 ランチ開始

14:00 ランチ終了 ランチの片づけ ディナーの仕込み

15:00 お昼ご飯 昼休憩

17:00 ディナータイム

22:30 ぼちぼち後片付け

23:30 クローズ

0:00 帰宅

 

簡単に書くとこんな感じです。

ちなみにキッチンもホールもやらせていただいてました。

何時間働いてんだって感じですね(笑)

早く帰れて23時です。

終電を逃して歩いて帰ったこともあります。

30分くらい夜の大阪を歩きました。

(タクシーは深夜2割増しです。ポコポコメーターが上がってくのを見て

次乗るのが怖くなりました。)

これが週6日続きます。

 

朝起きてお店に行って、夜終わって帰ってきて、寝て、出勤。

ほぼ寝るためだけに家に帰ってるような状態でした。

で、その状態を1ヵ月くらい続けて、

夜寝る時に天井を見上げて、

 

自分ってなんのために生きてるんやろう。

 

って思いました。

休みの日も疲れてほぼ寝てるだけ。

動けそうなら、カラオケいって歌うくらい。

まぁ、確かに自分のお店を持ちたいっておもって

飲食店に就職しました。

が、あまりにも拘束時間が長かった。

もともと、私は自分一人の時間が確保できないと

どんどんストレスがたまっていってしまうタイプなので

毎日、小さい店に行って、常にそばに誰かがいて

毎日同じ人と顔を合わせて。って言うのが

私にとってとても過酷な環境でした。

 

それと、仕事内容。

これは完全に私の経験不足です。

別に調理系の専門学校に行っていたわけではないので

大したスキルもなく。

キッチンの経験といっても

高校の時の居酒屋で週3日

調理補助をやってたくらいです。

まぁ、何の役にも立たないですよね(笑)

 

ただのいいわけですが

自分なりに一生懸命やりました。

言われたことは1回で覚える。メモする。

休憩時間や家にいる時は

メモを見返して業務の復習。

でもね、いくら頑張ってもダメな時はダメなんだって。

わかりました。

 

私の個人的な意見ですが

飲食の仕事って、マニュアル化されてないんですよね

そりゃ、大手の企業さんとかなら話は別です。

効率化って絶対考えてるはずですから。

やることがその日その時によって変わる

不透明さが私には合わなかった。

いちいち、なにしたらいいか聞くのがすごいストレスでした。

(自分勝手にするとまた怒られるので安易に手出しできない)

確認のためにオーナーに質問しても

「当たり前やろ、バカか」

とかそんな感じの暴言しか返ってきませんから

もー聞くことも嫌になりますよね。

 

で、またしょーもないミスをして怒られる

萎縮してしまう。

使えないヤツというレッテルを張られる。

このレッテルを張られたらほんとおしまい。

何でもかんでもミスしたら私のせいになるから不思議ですね。

オーナーがグラス割っても私のせいになるんですから(笑)

 

そんな空回りな日々を3か月続けました。

体は不思議と慣れてしまったのでしんどくはありませんが

心のほうが耐えきれなかったです。

私自身もともとメンタルが強いほうではありませんので。

 

このままここにいても何の役にもたてない。

ただの給料泥棒だし。

私が居なくなったほうが。

新しくほんとうにこの仕事に向いてる人を雇えるし、

何より本格的に心を病んで働けなくなる前に辞めよう。

そう決意しました。

 

で、仕事を辞めて

そのまま何もしないでいると

うつになりそうだなーと思ったので

とりあえず派遣会社に登録しました。

運よく派遣先も見つかって、

勤めだしてもうすぐ2年が経とうとしています。

 

前の職場にいたときは

「どこに行っても同じやで」

とか言われてました。

でも私はそうじゃないと思うんです。

たしかにスキル不足でした。

でも雇用する側にも少なからず問題があると思います。

・仕事内容が不透明

・上司の人格に問題がある

・上に立つ人としての器がない

 

何のスキルもない私が

今の職場で2年勤め続けられているのがその証明です。

 

仕事には向き不向きがある。

適材適所って言葉があるように

気持ちよく働かせてくれるところはいくらでもあります。

 

だからもし

不当な扱いをうけて苦しんでいるなら

そこから抜け出して

新しい人生を歩みたいと思いませんか?

無理やり頑張るんではなくて、

頑張ってダメだったら、

違う場所に行く。次の選択肢を探す。

ということも必要です。

 

自分を守るためにも

視野を常に広く持ちましょう。

 

 

 

雑談ってなんの意味があるんだろう

ども。りとるです。

 

私自身人見知りで

人と話すのが得意ではありません。

というか、自分から話しかけることがほぼない。

何か用事がある時や、必要に迫られたときは話しかけます。

ある程度仲良くなったら普通に話せるんですが

それまでがすごく大変です。

 

雑談

 

人と付き合っていくうえでしなければならない時が来ます。

私は雑談が嫌いでした。

意味の無い話をなぜするのか。

そう思ってました。

基本的に無口なので、意味ないなら黙っていよう。

って言う考えです。

あと、雑談の中に人の悪口を言うひと。

これも気分がいいものではありませんよね。

心理学で好きなものが一緒よりも嫌いなものが一緒だったときのほうが

信頼関係が深まるというものがあります

「あの人が嫌い」「わたしも!」

みたいな感じです。

悪口パーティー開始の合図です。

 

もし本人の耳に入ったら

嫌な思いする。って考えないんですかね。

自分がされて嫌なことを平気で人にしてしまうって

どうなんですかね。

相手を思いやる気持ち。

想像力が欠如しているんですよね。

 

そう言う会話が嫌で。人と話をするのがさらに嫌になる

悪循環に陥ります。

 

じゃあ、そもそも

なぜ雑談をするのか、と問われると

やっぱり人間関係を形成するためなんですね。

話すことで、相手の考えや今まで経験してきたことがわかる

その人を知るための会話が雑談なのだと思います。

話の内容には、意味がないことに意味があるんです。

人とのお付き合いって感じですね。

 

でも雑談っていったって、何を話せば…

 

そんなに、肩ひじ張らなくても大丈夫です。

まずは挨拶。

「おはようございます」

 

そのあとにとっかかりをつけます

いい天気ですね、とか、なんやかんや

私の場合少し親しくなって来たら相手の持ち物をほめたりします。

「その靴かわいいですね(かっこいい)」

ほめられて嫌な気持ちになる人は少ないんじゃないかと。

気分がよくなった相手は自ら話し始めたりするわけです。

そうなったら聞き役に回ってベストなタイミングで

相槌をうっていたら、たいがいうまくいったりします。

 

話のネタに困ったときは

身に着けているもの、目から入る情報を手掛かりにして

そこにツッコミを入れる形で会話を展開していくのが

私流のやり方です。

 

年上の方に対する敬語とタメ口の使い分け

ども。りとるです。

 

私は現在24歳です。

 

職場では20個くらい上のお姉さん方に

仲良くしてもらっています。

 

敬語とタメ口

 

私は中学校の時に剣道部に入っていました。

今やギター弾いて歌ったりしてる人間が

元はごりごりの体育会系とかちょっと笑えますね。

 

体育会系といえば

先生・先輩の言ってることには絶対服従

絶対敬語、タメ口なんて言語道断。

先輩よりも先に道場の清掃をして

先輩がモップを持とうものなら奪い取って(笑)

喜んで荷物持ちをし。おつきをする。

 

なーんてことを当たり前のようにやってました。

今思えばちょっと狂ってんなって思いますが

こういうスキルが染みついてると

なぜか年上の方に好かれます。

親分、子分みたいな感じなんでしょうね。

 

社会人になって誰と接するときでも

敬語つかいますよね。

逆に急にタメ口だったらびっくりしますよね。

そんな、フランクな感じなん?みたいな。

日本語のめんどくさいところですよね。

 

でも、あるところで

敬語、なんか、堅苦しいなってなる時が来るんです。

関西ならではなのかな、

私が居てるところが特殊なのかな、

歳の離れた同僚って感じですかね。

お昼ごはんも一緒に食べてるのに

ずっと敬語だと距離を感じさせてしまうような。

でもいきなりタメ口だと失礼じゃないか。

とか、またいろいろ考えてしまうんですよね。

 

最初のころは敬語で話して、

慣れてきたらタメ口交じりで話す。

みたいな、ちょっと変な日本語の使い方をしています。

一緒にお昼ご飯食べてくれるお姉さんと話すときは

もうほぼタメ口ですが。たまに敬語使います。

 

相手との距離を測りながら

言葉も変えていく。

すこしづつ距離が縮まって

仲良くなっていくのってなんか面白いですよね。